トゥト・アンク・アメン

TUT・ANKH・AMUNは「アモン神の生ける似姿」だそうです。

なんだかよく理解できませんが、Tutankhamunとはこのファラオのことです。エジプト人が本当はこうよぶんですというから間違いないのでしょう。日本人だけが「ツタンカーメン」とよぶんだそうです。エジプトでは単にTut(トゥト)と呼ばれています。

ツタンカーメンの黄金のマスク(撮影禁止なので買ったデジタル記録写真を掲載します)はエジプト考古学博物館にあり、これは直接見ることができます。想像していたより小さく感じました。

この黄金のマスクなどの貴重な調度品は、この博物館に展示されていますが、そのミイラだけは王家の谷とよばれるお墓にあり、これも見ることができます。ミイラだけが博物館に移されなかった理由は、ミイラの首が折れそうなくらい劣化していたからです。

このミイラも大家の谷を訪れ、見てきました。これも想像していたより小さく感じました。

紀元前1342年頃に生まれた古代エジプト第18王朝のファラオで、18才で病気で亡くなったといわれています。身長は165センチくらいで、小柄な足が悪い病弱な王だったようで、使っていた杖がエジプト考古学博物館に展示されています。

私たちの想像する王の姿とはかなり違った王だったようです。

王家の谷にあるツタンカーメン王の墓は、1922年11月4日に考古学者ハワード・カーターにより発見されました。3000年以上もの間、盗掘を逃れ、数々の装飾品や黄金のマスクなども完全な姿で発掘されました。当時、発見された直後の写真なども残されています。

また、この王家の谷には、全部で250ほどの墓があることが判明しており、まだ、100以上の未発見の墓があります。日本の早稲田ハウスをはじめ、現在も発掘調査が行われています。

これは棺(下)のマトュリューシカ(ロシアの入れ子人形)です。黄金の棺(上)を何重にも保護した木製の棺です。奥のもそうです。

調度品の数々

スカラベ(フンコロガシ)は砂漠の生き物です。生命の神秘を感じ、いろいろな調度品となったり、彫刻されたりしています。

ツタンカーメン王が使っていた杖


王家の谷の写真

この墓も内部は撮影禁止です。(記録写真を載せます。)

モノクロ写真は1922年11月4日に考古学者ハワード・カーターが発見した当時の様子を撮影した貴重な記録です。

髭の白人がハワード・カーター(Howard Carter)です。イギリス生まれのエジプト考古学者で、ツタンカーメン王の墓を発見した人物として有名です。


王家の谷はこんな感じ。

ごらんのように本当に谷があるだけです。ピラミッドとかオベリスクなどの建築物は全くありません。これはピラミッドが盗掘にあったことから秘密の場所に埋葬するようになりました。この谷にはまだ100以上の未発見の王の墓があります。あちらこちらに穴があいており、発掘調査が行われています。

世界の細道

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